古谷経衡×辻田真佐憲×東浩紀「夢としての『大東亜戦争』——80年代生まれが架空戦記を軸に語る開戦後80年」の感想

https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20211208

とても刺激的な回であった。

コロナ禍の政治やマスメディアへの失望感から、東浩紀に辿り着いてしまった私は、過去動画は有観客で見ても、リアルタイムで見れた有観客回はなかった。

とても楽しませてもらった。

その記録として感想文を書く。

この番組の冒頭に東さんがいう、

「リベラルな団塊ジュニアが80年代生まれはどうしてネトウヨ世代になっちゃったんだい?」がとても私にはクリティカルな切り口だった。

私は81年生まれで、つくる会的、小林よしのり的言説に影響を受けた高校時代を過ごした。

辻田さんのように国民の歴史も買ったし、正論もたまに買っていたし、SAPIOも毎週買っていた。オフライン的ネトウヨだった時代がある。

ネトウヨ世代の当事者そのものとして、番組を楽しませてもらった。

古谷さん、辻田さんほど知的好奇心も旺盛でなく、特に【国民の歴史】は、なかなか難解であった記憶があるので、読み切ってない。

シミュレーションゲームは好きだったが、太平洋戦争ものではなく、ダービースタリオン信長の野望に行ったので、仮想戦記方面には縁がなかった。

辻田さんは、極めて能力が高い、当時の私の理想ともいえるネトウヨ的知的エリートである。私がもっと知的好奇心が高く、努力家であり熱心な性格であれば、辻田さんの下位互換のような高校生であっただろう。

(さすがに神皇正統記を暗唱できる能力はない)

梶谷さんとのイベントの「アジア的愚かさと公共性について」で東さんは「90年代は日本側からの加害証言が豊富に語られた時代だった」と言っていた。

これは当時の自分の感覚からいうと、自虐史観な時代であり、古谷さんの〈仮想戦記チャート〉の日教組的なものと捉えていた。

今はさすがにやっぱりアジア太平洋戦争は無茶苦茶な戦争で極めて愚かなものだと思っているし、従軍慰安婦も、吉田清治証言の人狩りはなかったとしても、きちんと韓国には謝罪と補償をすべきだと思うし、南京事件も規模はともかく虐殺は行われたと思っている。

おそらく、今は私はある程度は真ん中に戻っている(と信じたい)が、東さんの【80年代生まれネトウヨ世代問題】を私の体験から語りたいと思う。

90年代が日本側の加害証言の黄金期となったことに触れたが、学校教育の場でも影響は大きかった思うのだ。

私が小学生のときの体験である。

毎年8月ごろは授業で、はだしのゲンのアニメ映画やNHKの戦争ドキュメンタリーを見る時間があった。

はだしのゲンは漫画でもけっこう序盤はショッキングな原爆被害の絵が多いが、アニメはさらに刺激的だった印象がある。沖縄戦で銃殺された兵士の死体が斜面から力なく滑り落ちる映像は目に焼き付いて怖くなって一人では眠れずに親の布団に入って寝た。

私は割と太平洋戦争に興味がある方だったので、写真の原爆資料や漫画のはだしのゲンを読んだりしていたが、静止画と違って映像は辛かった。

また、小学生5年6年を受け持っていた当時20代後半の担任教師は「君が代は歌いたくないなら歌わなくてもいい、先生は口パクだから」と言っていた。

普段の言動は特にイデオロギッシュな印象はなく、はっきり政治的立場を明確にしたのはこの時だけだったから、記憶に残っている。

(面倒見が良い、柔和な性格の良い先生だった。)

そして、オウム真理教薬害エイズ問題で低年齢時に親しんでいた小林よしのりさんが活躍してると知って、ゴーマニズム宣言を読み出した。

ちょうどSAPIOに移った新ゴーマニズム宣言の1巻から読み出して、【戦争論】まで一直線である。

12月11日の朝の突発配信で東さんは「日本はナショナリズムを語るのが難しい国」と言った。

当時の私にはその難しさを「気にせず語っていいんだぜ!」とゴーマンかました小林さんがとにかく刺さったのだ。

古谷さん、辻田さんはおそらく同時並行で仮想戦記も読み、ナショナリズムの欲望を発散すると同時に、ハイコンテクストな仮想戦記を読むための、史実的知識も得ていたのだろう。

「気持ちはわかるが、『アジアかは解放されたから実質勝利』は冷静に考えて乗れねえよ」という感想もどこかで抱いていたのではないか。

これが保守系経由でのルートで入ったのに、リベラル、中道的スタンスが取れる彼らの強さだと思う。

私はネットに触れたのが遅かったので、オフライン的ネトウヨネトウヨ言説を見たら、ヘイトが蔓延していて、ひどくがっかりしてそういう言説から離れた。

石戸諭さんの【百田尚樹現象】でも、ネトウヨ的言説の源流をつくる会に求めていた。たしかに源流はそうだろう。ネットによって、シンプルな2chコピペが愛国的娯楽として消費され、つくる会の【教科書の教えない歴史】が目的とした「日本人としての誇り」が過剰に持て囃され、嫌韓嫌中ブームを呼んだ。

(嫌韓流も影響あっただろうが、私は読んでないので語れない。)

都合の良い知識だけを仕入れて、同じ構造の話を延々と再生産することでネトウヨが増幅されてたと思う。しかし、古谷さん、辻田さんは都合の良い知識だけではなく、広い知識を網羅しつつ、ネトウヨ言説とも距離をとり、その上で愛国的娯楽を楽しんでいるように思える。

私の実体験でも、反日的、自虐的とも言えなくもない教育が90年代はあった。【戦争論】【インターネット】の両輪で世間のネトウヨ的言説は増幅され続けてきた。

辻田さんは「やばいものを圧倒的知識量で抑え込んでいる」と表現した。

リベラル側も「正しく知識をインストールすればネトウヨから抜けられるはずだ。」という、ファクトチェック系対応をしばしば反論として行う。

しかし、興味のない勉強はつまらないし、頭に入らない。辻田さんは「百田さんでも司馬さんでもいいから歴史を物語として書かないと国民にインストールされない」と言った。

私が影響をかつて受けた【戦争論】も物語的であるからこそ、情念に訴え頭に残る。

本当は、悲しく残酷で陰鬱な話でも知識を入れる事が正しいのかもしれない。とにかく正しい知識が正義なのだと。

ただ、残念なことに人間の記憶の構造はそうなっていないと思う。興味の持てない話を覚えられる人少ないと思う。

今回のイベントは不謹慎ともいえるが大胆に、「愚かさ」をコメディにするという試みが行われたと感じた。

ジンギスカン作戦」で爆笑、「とにかく若くてやる気のある奴」で爆笑。これらのパワーワードと共にそこに至る詳細もセットで脳に刻み込まれた。

配信はとても楽しいものだったし、よりクリアにアジア太平洋戦争の経緯を理解することができた。この企画はとてもすごいと思う。悲壮的でも過度に歴史を責めることもなく、観客も共犯関係をもって戦争に向き合うための基礎をインストールさせた。

とてもすごい企画だったと思う。

日本人として生きる上で日本の歴史の財産を受け取る以上のは負債も受け取らないといけないと私は思っている。

そして、この愚かさを教訓として同じ失敗をしないようにしていく責任も日本人にあると思う。

この企画を大成功させた登壇者の御三方と上田さんをはじめとしたゲンロンのスタッフに感謝したい。