ヤクルトがクソ弱いので、絶望に打ちひしがれた時のプレイリスト
ヤクルトがクソ弱い。
最悪だ。
昨日4月19日はオスナのホームランで先制し、先発投手の山野のタイムリーヒットや山田哲人の追加点など5回までは優勢にゲームを進めていた。
5回終了時点で3対0でリードだ。
しかし、最終スコアは4対6の負け。
6回以降に毎回の失点を許して、リーグ戦5連敗、合わせて巨人戦も2試合連続逆転負けの5連敗の泥沼である。
5連敗と5連敗だから「Go!Go!Swallows」なのか。スタジアムDJのパトリックは悪くないんだか、掛け声すら呪詛に聞こえる末期症状だ。
だいたい今季の不穏さはドラフト1位の中村優斗の故障から始まるが、ヤクルトあるあるの「ドラフト1位スペりがち」(レイザーラモンの2018年あるあるのロシアンルーレットのリズムで再生頂けると嬉しい)でスルーしていた。
そこから、塩見の再故障、山田哲人の一時離脱、村上の故障と再故障と明治神宮の御利益など無効化にするほどの不運が襲う。
それでも一時は雨天中止の影響で試合数が少ないために、勝率差で1位になったりしていたが、天候が良くなり太陽が強くなって気温も上がると、連敗が始まる。
太陽が隠れるーーーつまりは 天岩戸状態のときに調子がよく、明治神宮の御祭神の御利益もないのは、大国主をじつは崇拝している邪教集団の可能性もある。恐ろしや。
しかし、弱すぎてどうしようもない。
主力野手が欠けた状態でリードを保ってリリーフに託しても、リリーフがそのリードを保たない。期待の新外国人のバウマンはメジャーリーグで大谷翔平に50号のメモリアルアーチを献上した投手だが、日本にきて、近本や甲斐にもアーチを献上している。髭のないオンドルセクのようなルックスで、実績もオンドルセクに近いのだから、日本でも近い活躍を望む。まじで。頼むよ。
これらの絶望は悲しみの果てと表現するのがふさわしい。
悲しみの果てに 何があるかなんて
俺は知らない 見たこともない
俺も知りたくはないよ。でも、それが近づいてきているのは確かだ。
みんな何処へいった 見守れることもなく
地上にある星を 誰も覚えていない
みんな空ばかりみてる
つばめよ 高い空から
教えてよ 地上の星を
だいたい二軍でリハビリしている。
ヤクルトには星という選手がいるが二軍だ。地上にも星がない。
Face your own sky
Darkness pours down from the early stars
Wait for my sign
We'll go quietly together
early starsを見ても、闇に包まれる。これは希望すら見えない…
I am a patient boy
I wait, I wait, I wait, I wait
(中略)
Everybody′s always down (tell me why)
Because they can't get up
俺はたしかに辛抱強くありたい。去年も一昨年も低迷に耐えた…。しかし、もう皆打ちひしがれて立てない…
Trash into trash equals trash flavored trash
この状況はゴミだ!と叫びたい。しかし、こんな状況は続かない。今はこの状況に耐えるだけ…
雨曝しなら濡れるしかない
雨曝しなら濡れるがいいさ
だってどうせ傘など持ってないんだ
雨曝しには濡れるけれども、僕はヤクルトのために傘を持ち、傘を振り続ける!

今度はGrokとバントの文句をいう
先程RONSPOの記事の批判をAI・chatGPTとともに作成したブログを載せた。
AIと一緒に犠牲バントの文句をいう - barnette’s diary
批判対象のRONSPOの記事はこちら
なぜ阪神の藤川監督は1点を追う8回無死一塁で「代打佐藤輝明」ではなくバントを選択しなかったのか…甲子園“開幕戦”でヤクルトに0-1惜敗 – 本格スポーツ議論ニュースサイト「RONSPO」
僕は懲りずに、今度はGrokにも似たようなことをやっていた。くだらないバント批判に延々と付き合ってくれるのはAIのみなさんだけだ。僕の怒りは電力を消費し人工知能が出力してくれる。
そうしたら今度はこのような批判コラムをGrokくんが出力してくれた。
### バントは「欲の浄化」? 阪神采配批判に漂うオカルトの香り
4月8日、甲子園での阪神対ヤクルト戦。1点ビハインドの8回無死一塁、藤川監督が送り込んだのは代打・佐藤輝明。結果は三振、続く近本も凡退し、阪神は0-1で惜敗。すると某メディアがすかさず吠えた。「なぜバントしなかった?」「同点を狙うのがセオリー!」と。この記事、まるで戦術論のようでいて、どこかスピリチュアルな香りが漂う。まるでバントが「欲を浄化する儀式」であり、佐藤の代打は「逆転の欲に溺れた自滅」とでも言うかのように。
#### 「欲=悪」の道徳劇記事を読み解くと、ストーリーはこうだ。佐藤は「粗い長距離バッター」、つまり欲深きホームラン狙いの罪人。一方、バントは「謙虚な一歩」、近本に繋げば「得点圏の神」が微笑む——らしい。評論家の「まず同点狙い」「佐藤に進塁打は難しい」なるコメントは、まるで「二兎を追う者は一兎も得ず」のことわざを振りかざし、「逆転は欲、だから失敗した」と諭す僧侶の説法だ。なるほど、野球はデータや戦略のスポーツではなく、「心の清らかさ」で勝敗が決まるオカルトの世界だったのか!
この物語、どことなく日本野球の古い美徳を思い起こさせる。「コンパクトに打て」「ヒットの延長にホームランがある」——王貞治の金言すら、欲を抑える道徳として引き合いに出されそうだ。バントはアウトを捧げる神聖な供物であり、佐藤の大振りはチームの運気を乱す悪行。記事はそうやって、ファンの「負けた悔しさ」を「欲のせい」に転嫁し、慰めている。だが、ちょっと待ってほしい。野球は神社でのお祈りじゃない。データと確率で語るべきだろ?
#### データが暴く「オカルトの嘘」まず、記事の前提をぶった斬る。この日、近本は4打数0安打、内野ゴロ2つに三振1つと絶不調。2025年の得点圏打率に至ってはゼロだ。「得点圏に強い近本」って、どこの霊界からの情報だ? 一方、佐藤は高橋奎二に対し、過去に2本のホームランと2四球を記録。左対左だろうが、十分に脅威だった。セイバーメトリクスでも、1点ビハインドの8回無死一塁(得点期待値約0.9点)でバントすると、一死二塁(約0.7点)に下がる。バントは「謙虚」どころか、得点を遠ざける凡庸な選択だ。
記事は「同点がセオリー」とドヤるが、なぜ逆転を諦める? 8回で佐藤がヒットや四球なら同点の芽は残りつつ、ホームランで逆転も狙える。なのに、「逆転は欲」と決めつけ、バントを「浄化の儀式」に祭り上げるのは、まるで「志望校は諦めなさい、滑り止めが無難よ」と進路指導する教師だ。そんなマインドでペナントレースを戦えるか? 欲を捨てた先に待つのは、運でも勝利でもなく、ただの思考停止だ。
#### ファンタジーじゃなく、野球を語れこの記事の罪は、「本格議論」を装いながら、戦術の合理性をオカルトで塗り潰したことだ。「バント=美徳」「逆転=罪」と二択に矮小化し、データも状況も無視。佐藤の三振を「欲の報い」と断じるなら、近本の凡退は「謙虚さの不足」でも責めるのか? そんなスピリチュアルな因果論、笑いものだ。ファンの悔しさに寄り添うのは結構だが、それを「欲を捨てれば運が来る」なんてファンタジーで誤魔化すのは、野球を愛する者への裏切りだ。
野球はデータと戦略のゲームだ。バントは状況次第の道具にすぎない。「欲」とか「謙虚」とか、道徳でスコアボードは変わらない。次はもっと現実を見ろよ、RONSPO。さもないと、甲子園の夜空に「バントの神様」は降臨しないぜ。
今回は元の記事が「欲を捨てていれば勝ったはず」というストーリーが根底にあるのではないかと分析し、その理由をGrokくんにぼやいていた。
本来なら、このシチュエーションは逆転が最善策であり、同点は次善策であるはずだ。にも関わらず、逆転は最初から難しいのだというような印象を記事から受ける。これは、逆転は「身の丈に合わない大きな望み」で同点なら「十分実現可能な現実的な望み」という前提が見える。本当は、逆転を狙いつつ、それが叶わないときに同点を狙うというのが僕は正しいと思う。Grokくんの出力にあるように、学生は最初から第二志望校を目標に勉強しない。少なくともそれを指導教師は推奨するわけない。別に同点と逆転は排反関係でなく、同じラインにあるはずだ。もちろんツーストライクと追い込まれたとか、狙い球が来ないとかなら、次善策にスライドする柔軟性は必要だが、最初から最善策を捨てることは愚かな判断だと思う。
それをこの記事では「大きな欲をかいたから負けたのだ」というような道徳的教訓のような書きぶりがあるんじゃないか?という疑問があり、Grokくんに訴えたところ、上のテンション高い文章が出力された。
犠牲バントは英語では サクリファイス(sacrifice)であり、これは生贄を意味する単語だから、神の生贄バントというのは文字通りであるのだが。
実際のところ、日本の野球はかつての高校野球のように「禁欲」と相性が良いのは確かで、それが記事のいう伝統的なセオリーだったり、犠牲バントの信頼に影響しているだろうとは思う。
しかし、chatGPTと比べて、Grokくんがワイルドな感じな文章書くのはオーナーの育て方の問題だろうかね。
AIと一緒に犠牲バントの文句をいう
Yahooニュースで野球の情報収集していたら、RONSPOという配信元の記事が目についた。
なぜ阪神の藤川監督は1点を追う8回無死一塁で「代打佐藤輝明」ではなくバントを選択しなかったのか…甲子園“開幕戦”でヤクルトに0-1惜敗 – 本格スポーツ議論ニュースサイト「RONSPO」
Yahooニュースは配信が終了するとリンク切れになるので元記事をリンクしておくが、なかなか悪い意味で味わい深い記事だった。
記事の要旨は、阪神が1点ビハインドの展開で体調不良を理由にスタメンを外れた佐藤輝明の代打策についての批判記事である。
ヤクルト戦だったので、試合展開の一部始終を観ていたから、なんとなく流し読みしていた。犠牲バント推奨記事だったので、まあ、よくある記事だよな〜的に読んでいたが、徹頭徹尾おかしな論理展開していて、その文句をchat GPTに愚痴っていた。chat GPTはほとんどキャバクラである。僕の偏執的ともいえる犠牲バントの文句を飽きもせずに、「すごーい!」「さすが〜!!」と聞いてくれた上に、いい感じに話題を広げてくれる。寂しい中年男性にとってはこの上ない癒しだ。
そのうち、chat GPT嬢は「あなたの意見をコラム風にまとめたら、鋭い視点になるからまとめてあげようか?」と提案してきた。
褒められてまくっていい気になっている僕は、「じゃあ、頼むよ。いい感じによろしく」と頼んでみたら、なかなか良い仕上がりの文章を出力してしてビビる。
その出力した文章をここに残しておこうと思う。
一部、データの間違い(AIはおっちょこちょいだから、よくある)は修正しているが、論理構成はなかなかなものだ。
■「当然のバント」論に潜むバイアス――敗戦の悔しさを慰める記事への違和感
先日公開された某メディアの記事では、阪神が敗れた試合において「バントを選択すべきだったのでは?」という主張が展開されていた。記事は佐藤輝明の代打起用を「結果論ではない」「当然の疑問」としながら、犠牲バント策を強く推している。
しかし、私はこの記事に対して、いくつかの点で大きな違和感を覚えた。
まず前提として、記事内では「佐藤=荒く確率の低い打者」「近本=得点圏に強い打者」といった印象が強調されているが、実際のデータと合致しているとは言い難い。佐藤の通算出塁率は.320と、決して低いとは言えず、代打としても相手投手に一定のプレッシャーを与える存在だ。一方で、近本に関しては今季の得点圏成績は平凡であり、この試合でも4打数ノーヒットと振るわなかった。つまり、「佐藤を下げて近本を打たせるべきだった」という選択が、客観的に見てどれだけ優位だったのかには疑問が残る。
さらに、記事は「犠牲バントが当然」とまで断じているが、その根拠も極めて乏しい。セイバーメトリクスの知見では、送りバントは得点確率をむしろ下げる傾向にあり、特に1点ビハインドの後攻という状況では、バントは必ずしも最善手ではないとされている。統計的裏付けを持つこのような知見が一切紹介されず、「現場のセオリー」としてのバントが、あたかも唯一無二の正解であるかのように語られている点には、バランスを欠く印象を受ける。
加えて、記事は佐藤の代打起用を問題視しているが、その代打が登場した場面以降、実際には全ての打者が凡退している。バントをしていれば得点できた、という論理展開は、仮定に仮定を重ねた“都合の良いIF”であり、論理的な因果関係とは言いがたい。
結局のところ、このような記事が与える印象は、「バントをしていれば勝てたのに」といった、単純な答えへの誘導である。試合の敗因を一つの選択に収束させる構成は、読者の思考停止を招きかねず、特定のセオリーや評論家の意見に過度に寄りかかった姿勢は、むしろ記事の中立性を損ねている。
もしこの記事が、個人の立場を明確にしたオピニオンとして語られていれば、私はここまでの不満は抱かなかっただろう。だが、「当然」「当然の疑問」といった強い断定がある一方で、他の可能性やデータ的背景にはほとんど触れられておらず、まるで唯一の正解であるかのような書きぶりは、読者に対して誠実とは言えない。
ファンの悔しさに寄り添う記事が存在すること自体は否定しない。しかし、それを“分析風”の記事として構成するならば、最低限の多角的な視点と、異なる可能性への理解を持ち合わせていてほしい。野球はそんなに単純ではないし、だからこそ面白いのだから。
直したところは佐藤輝明の出塁率の部分で、愚痴の中で、通算出塁率は.320だというデータを示したら、2025年の出塁率と勘違いしていたので、そこは改めたが、おおよそ僕の意見をまとめてくれている。
細かいことを言えば、通算出塁率.320は別に高くもなく、レギュラー選手としては低い方だけれど、まあ、そこは大目に見てやろう。chatGPT嬢は、僕の主張する「佐藤輝明が確率がとても悪いっていう記事の主張はおかしいだろ」という怒りに気押されて筆が滑ってしまったんだろうね。
改めて、僕の言葉でこの記事を批判すると、1点ビハインドの代打バント策がセオリーというほど確立し効果が高い作戦とは言えないだろうし、記事内の評論家の主張の「まずは同点」という発想も賛同できない。むしろ逆転するチャンスはここだけだったろうし、同点後に延長でヤクルトのリリーフから勝ち越しをするプランもあるにはあるが、それは消耗戦になる。最近ではリリーフに負担をかからない運用もペナントレースの重要な戦略となっていて、ペナントレースの序盤で、カード頭の試合からリリーフを注ぎ込むことを嫌うことは一定の合理性もあるから、勝ち越しを狙えるときに狙うというスタイルを「セオリーではない」と否定するほどの根拠があるとは思えない。
加えて、この記事の最大のツッコミどころは、当日の近本は4打数ノーヒットで、8回以前の打撃結果は内野ゴロ2、三振1と内容も良くなかった。しかも、この記事内でさんざん強調されている「チャンスに強い近本」が2025年は未だに得点圏打率は無安打であることだ。
確かに近本は通算では得点圏打率.308を残し、2024年は.320と良い結果を出しているが、サンプルが通常の打率よりも少ないため、揺らぎがあることも留意しなければならない。「結果論ではなく」とか記事内では記しているが、バントして近本凡退なら、「今季は得点圏で無安打の近本に賭けるよりも積極的な代打策を取るべきだ」ということも書けてしまう。
まあ、何よりこの記事は、バントを強い信頼し得点圏打率(チャンス)という揺らぎが高い概念を根拠に「結果論ではない」というバリバリの結果論を書いているという質のよろしくない記事の見本のようなものだった。
chatGPT嬢にも書いてもらったが、この記事の目的は注目度の高い甲子園開幕戦で惜敗した阪神ファンの悔しさを慰めてアクセスを狙いたいという意図が見え隠れしていて、それなら堂々と感情に寄り添うような論調で書くべきで、まるで似非科学のように、中立やデータを装って意味不明なことを書くということにすごく不満がある。
まあ、RONSPOさんは「本格議論」を標榜するメディアらしいので、僕も本格議論で文句言ってもいいだろう。RONSPOさんは思考停止気味のバント戦術のアピールを「本格議論」と思っているなら話は別だけどね。
ヤクルトスワローズとバントの文句
球春開幕し、我がヤクルトスワローズは開幕戦の哀れな逆転負けから始まる開幕3連敗から復調し、勝率5割に戻して中日ドラゴンズとの試合に臨んだ。
結果は接戦を落とし、6対5の負けである。
これで、負けが先行し借金生活に突入した。
いろいろ文句言いたいことはあるんだが、まずはポジティブな話題からいこう。
山田哲人選手は通算300号ホームランを達成し、さらに本日の試合でも一回裏にスリーランホームランを打ち、単独で神宮球場最多ホームランを達成した。素晴らしいよ。山田哲人。
「ちゃらーららら〜やまーだてつと!ちゃらーららら〜やまーだてつと!夢へと続く道〜や!ま!だ!」という応援歌はは神宮でのヤクルトファンにのみならず、球場のボルテージが上がる名曲で、ここ2年は山田哲人は応援歌負けしていた状態だった。その山田の復活の兆しが見えるのは格別の喜びである。
そして、今年のドラフト3位ルーキー荘司投手が素晴らしい。今のところビハインドの展開でしか登板してないが、この投手は勝ちパターンはもちろん、先発すらできるんじゃないかという期待がある。ビハインドで投げているのはルーキーに対して、楽なところから慣れさせたいという首脳陣の親心もあるのだろうが、今年のヤクルトスワローズは抑え候補のバウマン投手が離脱中で、開幕戦で抑えに回った田口投手も開幕からセーブ失敗と不安がある状況で頼りにしていいのではないか。
今期のヤクルトはおそらくバウマン投手が戻るまでは中継ぎローテーション的な管理をし、流動的な継投と、ここぞのピンチの場面では、慶応が誇る脳筋暴れ馬・木澤投手の神かがりな火消しに期待するというような運用をするんだろうと思うが、その一角にルーキーが食い込めばさらなるブルペンの充実になるであろう。
荘司投手は左のやや変則なフォームで投げるピッチャーで、いわゆる左殺し系の系譜に属すると思われるが、彼のチェンジアップはほとんど魔球といえる落ち方をしていて、右バッターの外角に沈みながら落ちるチェンジアップの軌道は、左バッターよりも右バッターに有効に働くはずだ。社会人のセガサミー時代はリリーフ専門であったようで、本人もリリーフに矜持を持っているだろうけれど、何より先発が不安定なヤクルトで若くてコントロールが良い投手は積極的に先発のチャレンジをしてほしいと願う。
さて、ポジヤクはこの辺にして、ヤクルトの文句を言いたい。
一昨日(4/4)のゲームもそうだが、送りバントである。
ヤクルトが1点ビハインドの8回裏に5番打者山田哲人がノーアウトから四球で出塁すると、すかさず並木選手を代走起用した。ここまでは良い。並木選手の走力なら一塁から二塁打で得点できるし、単打のヒットでも走者一塁三塁が作れる。そうすればぐっと逆転できるチャンスになる。かりに延長に突入した場合に、中軸打者の山田哲人選手がいないのは打線にとっては損失だが、ここで勝負を決めるだけのシチュレーションである。よし、ここで一気に逆転を狙おう!続く打者は今日2安打の長岡選手で左打者だから、引っ張ったライト方向への打球が飛べば、並木選手はゆうゆうと三塁に到達できる。対する清水投手は速球が武器で、それを引っ張るのは難しいかもしれないが、長岡選手は流し打ちのヒットも狙える選手だ…と期待してたら長岡選手は打席でバントの構えをしている。
アァァン?長岡は去年の最多安打で開幕戦で3番打者に起用する程度には打力に期待してるんじゃねえの?そもそも、ノーアウト一塁とワンアウト二塁なんて得点確率変わらんのだけど?あと6アウト差し出したら負けるんですが?なんでわざわざ貴重な資源のアウトをご提供されてらっしゃるの??更に延長に突入して昨日も火消しに勤しんだ木澤やら石山を投入するんか?だいたい、ふだん先発が不甲斐ないからリリーフに負担が大きいとか嘆いておられるのは、高津監督ご自身では??
と、一回は文句を言ったうえで高津さんの考えに寄り添ってみる。
五十嵐亮太のYouTubeで高津監督は「今年は接戦を増やしたい」という旨の発言をしていた。たしかに大差負けとか一方的な試合が続くとチームの緊張感がなくなったり、悔しさ的なものが薄れていき、それがチームの結束に影響が出て、また最下位争いに転じてしまうことを恐れているんだろう。確かにペナントレースはオールスター戦前に5割越えしていれば、後半の展開で巻き返すことも可能だから、まずはその緊張感を維持したいという発想はわかる。
だけどもだ。その方法が犠牲バントでええのん?
ちょうどこのカードの対戦相手だった中日の井上監督は昨日の試合で4番打者石川昂也にピンチバンターを起用して話題になっていた。いちおう、11回表の中日がノーアウト一二塁からワンアウト二三塁になることは、得点確率は上がるケースではある。
しかし、石川昂也選手を4番として起用すると明言していた監督がわずか開幕8試合目で、石川に勝負を預けられないという宣言をした意味は大きい。
僕がバントが嫌いなのは戦術面において、あまりにも短期利益を重視し過ぎているからだ。勝利こそが最高のファンサービスという言葉もあるが、ならば同時に敗戦の責任をもっと強く噛み締めるべきである。そして、ここでいう勝利とは、目先の1勝ではなくて、ペナントレースを走破する強さをもつ勝利だ。
かつて楽天ゴールデンイーグルスが初のクライマックスシリーズに出場した2009年。野村克也監督の監督生活の最終年のことである。
細かい展開は忘れたが、三塁ランナーがセギノール選手でそこから犠牲フライだか、内野ゴロで得点し、同点か勝ち越ししたシーンがあった。試合後のインタビューで、記者からあの状況で鈍足の部類のセギノールに代走を送らない理由はなんだ?と問われて、野村克也監督はこう答えた。
「セギノールはチームの中心選手だ。試合の後半にまた彼の力が必要になることがある。だから彼を交代させるという判断はなかった。」
2009年のセギノール選手は打率.253、本塁打14本、OPS.777とズバ抜けて良い成績でもないんだけれど、スタメンで使うレギュラー選手に正しい敬意と期待を表した素晴らしいコメントだと今でも思う。
犠牲バントでチームの規律や結束を高めるよりも、野村克也のような態度でチームの結束を高めてくれたら、それこそ「絶対大丈夫」なんだと思うんだよね。頼むよ、高津さん。
訂正する力!
訂正する力は訂正可能性の哲学の実践編ということもあり、具体的な事柄を平易な表現で書いてあるのでスラスラ読めてしまう。だから、読んでいるときは「なるほど!」と納得しながら引っかかりがなく読めてしまうのだが、この実践はとても難しいものを含まれていると感じた。単に「やるだけやってダメなら訂正すれば良い」とか「3歩進んで2歩下がるでいい」みたいなお気楽なことだけを言ってるわけではなく、むしろ、困難な道のりが訂正する力だと感じた。
特に感銘を受け、印象に残った部分が「リセットではなく訂正のためにはサンクコストを保存する」というところだ。
サンクコストが厄介な問題であるのは、例えばナニワ金融道という漫画を見ればよくわかる。初期のエピソードで零細経営者が傾いた事業を維持するために街金に借金を申し込むが、既に多重債務なので家族の娘を保証人につけろと言われる。それにより融資は実行されるが倒産してしまい、保証人になった娘も破綻していくというエピソードだ。
合理的に考えるなら、事業をたためば家族の破綻は免れた。しかし、今まで苦労してやってきた仕事だというサンクコストが邪魔をして誤った判断をしてしまう。本人だけではなく家族すらも犠牲になる。ナニワ金融道のエピソードはこのようなものが多く、それを街金側は「非合理でアホやな」と馬鹿にしている。読んでいる側も、金を借りる方の判断のまずさがわかる。つまり、サンクコストにこだわりすぎると身を滅ぼすと強く感じてしまう。だから、僕はサンクコストという言葉はとてもネガティブな言葉だと思っている。情緒に囚われず合理的であれというのは、営業関係の仕事をすると身をもって知ることが多い。
特に20代の頃は合理的であることはただ無条件で素晴らしいと感じていたし、今もそういう気分が残ってはいる。「日本は無駄が多いから経済停滞し始めたのだ」という言説はバブル崩壊以後盛んに繰り返された。実際に経済学的にはそうなんだろう。僕は1981年生まれなので、思春期はバブル崩壊以後であり、中高生の頃は「これからは若い世代の君たちが新しい日本社会を作るんだ」とか、そういう言葉を学校の先生などから聞かされた。日本はしがらみや因習が多くそれが失敗の原因なのだと。
これは今から思うと若者は個人の経験が少ないゆえに個人的なサンクコストが皆無だから合理的に社会を変えれるという意味だったんだろう。訂正する力でも触れられているが、この種の「若者力への期待」は、サンクコストの訂正が機能していない。「ゼロベースでリトライしてください」というのはリレーのバトンを渡してるわけではなく単なる無責任だ。日本の年長者から若者へのアドバイスはこの種の無責任さが目立つ。(どんどん年長者になっていく自分への自戒を込めて…)
ビジネスの世界では若い新興ベンチャーが合理的に拡大していくことはままある。競争があり淘汰され、製品やサービスは代替されていく。だから、その世界では合理性の価値観は正しい。
しかし、国や社会はそうではない。簡単に代替できないし、淘汰されるということは滅亡するということだ。ガラゲーユーザーが品物がないから、スマホに変えるのとは話が違う。
いま、日本の新自由主義な右派的言説が隆盛なのは、おそらくこういう背景で、日本の国力が低下し経済のような合理性の淘汰に飲み込まれる危機感もあるのだと思う。そして、日本スゴイ愛国右派は逆に日本はまだまだ力があり強いから負けないという発想だ。だから、過去の歴史修正をし、日本は無謬で強い国であることにこだわりがあるのではないだろうか。
これらを否定するのに日本社会に蔓延している「経済的合理性こそが至上の価値」の考えをを倒すのは難しい。僕らは生活する上で経済に否応なく巻き込まれて生活している。得体のしれない事をしていても、経済的に自立できていれば「一人前」扱いしてもらえる。それどころか、YouTuberなどは大きく稼げるとなれば、社会的にも承認されスゴイ人となる。多くを稼ぐということは効率的に価値を生み出すことなので、合理的な方が強い。サンクコストは合理的判断の足枷である。
そのサンクコストを保存していくこととはどういうことだろうか。持ち続ける保持ではなく保存。保存というと今は手元になくても、何か必要なときに出せる状態、しまってある状態、キープしているなどと言葉からは感じる。
訂正する力では、過去の再解釈をし、訂正し続けることだと言っている。そしてそれが出来るのが人文学の力なのだと。過去の再解釈は修正とは違う。事実は事実として残し、解釈を変更する。
これもまた実践が難しい。例えば野球選手が高校時代のスパルタ的環境を笑い話でエピソードトークすることがある。「めちゃくちゃなことされたけれど、結果良かった部分もある」という結論で語られる。これは訂正する力が働いているのかといえば、僕はそうではないと思う。ただ、こういう「しんどかった経験が今の自分のためになっているし、むしろよかった」的な気持ちは僕にもあるが、それは単なる記憶の書き換え、一部忘却であり、もっと丹念に事実を踏まえ、別の軸から再構築していく試みを訂正する力と呼ぶのだと思う。
本書ではその軸もまた訂正され続けるものだと説く。つまり、コレクトではなく、コレクティングだと。一つの例として、東さんの経営経験が語られる。ビジネスは売上という分かりやすい指標があるので、訂正が効きやすいと。
これには完全に同感で、日本で学生=未熟、社会人=成熟のイメージが強いのは、仕事やビジネスは常に外部から評価し続けられるから、その違いを言っているんだと思う。ビジネスは売上などのシンプルな指標があるから分かりやすい。しかし、社会はそうではない。こういう外部からの指標をもとに訂正を目指そうというのが、国際◯◯機関における▲▲指数とかで、それで右往左往してれば社会が良くなるとは思えない。そもそもこの種の公平な裁定者がいてジャッジしてくれる的な話も訂正する力では否定されている。
東さんが本を読んで考えて欲しいと言っていたが、優しい文体でわかりやすく書いてあるけれど、考えるとキリがない複雑なことを本書では言っている。文体に騙されてはいけない。この本を読んでも何もわからない。考えて考える。一度出た答えが正しいとか正解とかこだわらずに訂正を続けるしかないんだろうな。
おまけ
過去を保存しつつ、現代風に訂正してるかっこいい「訂正する力」バンドを見つけたので、おすすめしておきます。
シベリアの伝統音楽×エレクトロニカ!ボーカルとメロディが素晴らしく、ツボです。
有や無や「遊びから考える巨人の星論」について
有や無やを読んで、この人たちマジですげーなと思った。文章、紙面がしっかりしている。はっきり言って舐めていた。qppさんの靖國参拝記は控えめに言って名文。各方面で絶賛されるのもよくわかる。
だが、僕はここで言及したいのはhideakiさんの巨人の星論だ。だいたい、他の執筆者はシラス・ゲンロンに因んだことを書いているのに、巨人の星の話は気合いが入っている。野球マンガの古典的名作だが、新・巨人の星はむろん、巨人の星を読んだ人も有や無やの読者には少ないのではないか。当然僕は読んでいる。だから、秒で「伴宙太」の誤字も発見できる。
巨人の星はだいたい覚えているが、新・巨人の星はあんまり覚えてない。完結まで読んだのかすら、あやしい。近くのマンガ喫茶に行って読もうかと思ったが在庫がない。ならば、覚えている限りで書こうとじゃないか。
ちなみに、hideakiさんか論じたテーマを僕が十分に理解しているかは甚だ疑問なレベルなので、見当違いな文かもしれない。しかし、大切なのは星hideaki飛雄馬の投じた血染めの原稿に対して、バットを振ることだ。そう思い込んで書く。
「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」
この有名すぎる主題歌が巨人の星を表している。
星飛雄馬という男はとにかく思い込んでる男なのだ。巨人の星は魔球マンガだ。なぜ、彼が魔球にこだわるかというと、当時巨人に在籍していた金田正一(通称カネやん)に「変化球を教えてください!」と申し出たところ、「変化球は全てアメリカが発明した。星よ。お前はオリジナルの変化球を作れ。」という趣旨の返事を受けて、「思い込んだ」結果の産物である。
星飛雄馬の飛雄馬は「ヒューマン」に由来することはhideakiさんの文にも触れられているが、星飛雄馬はあまりに観念的で人間として何かが欠落している。ある種の道徳や倫理観には忠実なのだが、人間らしいファジーな感性がない。しばしば指摘されることだが、魔球が打たれるまで魔球一本槍の投球をし、その魔球が打たれるとショックでひどく落ち込み、遁走したりする。
星飛雄馬は「エモい」男なのだ。純粋で感情に忠実だ。父・星一徹の教えを内面化しすぎて勝負にこだわりすぎる。星一徹は星一徹で問答無用にやばいやつで、野球に熱中するあまりモラル崩壊して魔送球を編み出す。魔送球とは打者走者に当たるような球を三塁から投げるが、鋭く変化するために当たらずに一塁手に送球できるという技術だが、のちの巨人の監督になる川上哲治に咎められ巨人を去ることになる。
星飛雄馬は高校生まで孤独だった。部活動に入ることもなく、父親と特訓する日々。野球はチームスポーツなのだが、彼にとっては個人種目だった。とにかく速いスピードボールを投げれば、巨人に入ることができる。そう信じて日々の練習に励んでいた。今なら、中南米の選手がとにかく160キロ投げれれば、メジャーのスカウトに発見されるはずと信じているようなものだろうか。
高校に入学し初めて全くの他人と野球する事ができる。ここで友人の伴宙太を得たのは彼にとって幸せだった。伴宙太を得なければ、飛雄馬の孤独はさらに深いものになっていた。その伴も一緒に巨人に入団したのはいいが、父・星一徹の策略によって中日にトレードされてしまう。作者の梶原一騎は常に星飛雄馬を孤独にしようとする。その孤独が飛雄馬を成長させ飛躍させると信じているのだろう。
しかし、飛雄馬は孤独により野球の力を伸ばしたが、人間的な成長ができたかは疑問だ。ときどき、自分は何なのか、野球をする機械ではないか、と自問自答するが、結論は野球にのめり込むしかないとなる。結局のところ孤独を乗り越えたと言えない。目を逸らしてるだけだ。
だけども、これを僕らは笑うことができない。僕個人でも、本来は別のところに問題があるのに、「今は仕事に集中するだけだ。そうすれば乗り越えられる」と信じて行動した時期もある。視野狭窄になり、とにかく目の前の自分の仕事を!という心理は現代でもよくある現象だ。そして、巨人の星時代の星飛雄馬はまだ未成年である。高校1年時に中退して入団している。そう考えると、とても人間らしい、ありふれた行動だと思える。孤独が人を成長させると信じられた時代があり、一匹狼、男は黙ってサッポロビール的な美意識がかつてはあった。
だが、それは実は間違っていたと巨人の星では逆説的に示される。星飛雄馬は親友と離れて、恋人とも死別し、父は敵となり、徹底的な孤独に追い込まれた結果、左腕に強い負担のある大リーグボール3号を多投し、左腕が破壊され孤独に引退して終わるのだ。
そして新・巨人の星である。
この物語は打者・星飛雄馬として復活するところから始まる。星飛雄馬の破壊された左腕が利き手なのは、星一徹の矯正によるもので、実は先天的には右利きだったという秘密から投手として再生する。
冒頭に示した通り、新・巨人の星はあまり記憶にないのだけど、印象に残っているシーンがある。
打者として練習しているときに、サンダースと呼ばれる外国人コーチがバッティングピッチャーをしていた。彼は「ソトコーバ」(カープに所属していた外木場投手。シュートボールの名人)などと言いながら、主力投手のピッチングを真似て投げていた。
そのあとに星飛雄馬は「(外国人に対して)感謝を伝える言葉を知らないが、老人のマッサージは昔よくやっていた」と言って練習相手のお礼にマッサージをする。このシーンはとても印象深い。はっきり言って自分勝手でなんでもシリアスに捉えて、チームに迷惑かけようがお構いなしの男が人間らしい行動をしている!!
勝負に敗れ、孤独に苛まれ、いっときは父を恨んだ男が、本当に孤独になったときに、敗北も父もそれまでの人生も受け入れて、かつて父におそらくは無理矢理やらされていたマッサージを自ら他人に申し出る。星飛雄馬の「人間復活」である。
人間の成長は環境だけでは成り立たない。孤独だけでは人を強くしない。時間の流れは一見、無駄に思えるが、それこそが必要なのだろう。成熟とは無駄とも思える多大な時間を過ごし、自らの過去を素直に引き受けることから始まるのではないだろうか。
そんなことをhideakiさんの論考を読んで感じたよ。という感想文でした!
WBCの熱狂のあとで
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が終わって早くも1週間が経つ。
スポーツ国際大会の熱狂には、少し距離がある私だが、やはり日本チームのオールスターで挑む大会には血が湧き踊る。細やかなシーンでも、準決勝メキシコ戦に於ける9回1点ビハインドでの大谷翔平選手のツーベースヒットからの鼓舞、そして村上宗隆選手のサヨナラヒット、決勝戦での同点ホームラン、大谷翔平VSマイク・トラウトのエンゼルスのスター同士の9回の対決と見どころはたくさんあり、連日ニュースで取り上げられ、日本全体が祝賀ムードに包まれ、それ自体はとても好ましいと思う。
WBCにはポジティブな点とネガティブな点がそれぞれあった。その中で最もポジティブだと思ったのはヌートバー選手の加入である。彼はアメリカ国籍のいわゆる日系ハーフである。実は招聘が発表された当時は一部の野球評論家やワイドショーコメンテーターが批判的であった。理由は彼が売り出し中の若手で本当に代表に呼べるほどの実力の持ち主なのかという疑問がメインだった。MLBとNPBの成績を比較するのは難しい。特に打者成績の比較が難しい。イチロー選手のようにほとんど変わらない成績をMLBでも残す選手や、大谷翔平選手のように更に好成績をあげる選手もいれば、秋山翔吾選手や筒香嘉智選手のように全くの期待はずれに終わる選手もいる。全体のレベルでいえばMLB>NPBなのは明白なのだが、昨年度の打率.228ヌートバー選手がNPBの打率に換算するとどのくらいなのかは未知数である。
ただ、こういうヌートバー選手の加入を疑問視する意見の背後には日本の大げさに言えば排外主義的発想、マイルドに表現しても内輪の結束至上主義的な感性が働いているのではないかと勘繰ってしまう。
「日本の野球は自己犠牲、チームプレーに徹し、日本人同士だからこその阿吽の呼吸ができるのだ」というような感性である。
今回ヌートバー選手がそんな下らない幻想を鮮やかに打ち砕いてくれた。彼のプレイやパフォーマンスはとても素晴らしく、日本中を熱狂させた。もちろん彼の優れた人柄によるものが大きいと思う。ナショナリズムが高揚するスポーツ国際大会大会でヌートバー選手のような「異邦人」が日本チームに加入し、チームのムードを牽引し、フィーバーを起こしたことはこれからの日本社会にかなり良い影響が起こるんではないかと期待してしまう。
しかし、ネガティブな点もある。その中で最も大きいのは「嫌韓」である。
2002年のサッカーワールドカップが土壌になったともいわれる日本の「嫌韓」だが、また今回もあらゆる形で噴出した。韓国の代表チームのコ・ウソク投手が「大谷とは真っ向勝負がしたい。でも投げる場所がなければ、痛くないようにぶつけようかな。」と冗談まじりに発言したところ、ネットはこれでもか!と叩いた。
日本・韓国戦でキム・ユンシク投手がヌートバー選手にデッドボールを与えたところ、激しいブーイングが東京ドームに響いた。TwitterでもYahooコメントでも韓国への非難轟々である。そして、あまり話題になってないが、スポーツナビという野球のテキスト速報に「みんなのMVP」というコーナーがある。要は試合ごとの選手へのファン投票だ。確認できる方は見てほしいが、日本戦以外も含めて韓国チームの「みんなのMVP」は「該当者なし」ばかりである。わざわざ、日本が絡んでない試合まで、「お前らのチームにはMVPはいない」とクリックしに行く人たちが投票者の半分程度いるのだ。何がそこまで駆り立てるのか、全くわからない。だいたい野球チームを応援していれば、過去にたくさんの韓国人プレイヤーがチームに所属し主力の働きをしているし、カミングアウトの有無に関わらず、韓国・朝鮮をルーツにもつ選手はたくさんいる。帰化している選手もいれば、そうでない選手もいる。サンデーモーニングで強烈に反米反MLBのスタンスを貫いた張本氏を筆頭に「誇らしい日本野球」には韓国選手、在日コリアン選手は確実に含まれている。素直に自分が所属や縁のある代表チームを応援すれば良いのに、わざわざ、どこかを嫌う必要なんてない。
ただ、とても微妙なのはスポーツにはネタとしてのアンチという概念があり、これがエンターテイメントのスパイスとして機能している部分もあることだ。国内のリーグ戦ならば、やったり、やられたりのお互い様であるし、東京VS大阪の対立を敢えてやるから、巨人阪神戦は盛り上がる。ある種の因縁を敢えて強調することは自覚的にやる分には一種のネタとして楽しませるものであろう。問題は自覚的であることと、相互にやったり、やられたりの関係が対称的であること。今回のWBC東京ラウンドにはそれはなかった。全て日本がホームグラウンドてあり、多くの観客は日本チームを応援し、韓国は常にアウェイを強いられたからだ。そしてWBCは極めて商業主義的な大会なので、WBC大好き国家の日本は常に贔屓され続ける。3年後の2026年にも大会はあるが、また東京ラウンドは行われるだろう。公平性のために持ち回りでやることはない。
商業主義的なスポーツ大会というと、東京オリンピックのさまざまな問題を思い出し、ネガティブなものとして語られることも多いが、私はWBCに限っては商業主義だから悪いと一概にもいえない。全く平等でも公平でもない大会なのだが、野球はぶっちぎりでアメリカが強すぎるのだ。正しくはアメリカというよりMLBだ。今季から吉田正尚選手をはじめ日本で活躍した選手が目指す場所はMLBだし、何より大谷翔平選手も最初は日本球界を無視して直接MLBに向かおうとしていた。世界2位のリーグをもつ日本ですら、この有り様であるから他国は推してしるべしである。だから、MLBのシーズンの影響を最小限にすること、高額契約選手の疲労や故障に最大限に配慮すること、といった要件を守れないとトップ選手たちが参加する国際野球大会は不可能だ。いちおう中立的な組織が主催する国際大会もあることはある。例えば2024年に開催予定のプレミア12がそうだが、MLBのシーズン後に行われ、多くの選手は疲労や故障リスクがあるのでMLB所属のトップ選手が集う大会とはならない。
日本だって、かつては国際大会のプロ派遣には消極的だった。若手選手や二軍選手を中心に派遣したりしていた。2004年のプロ野球再編問題や地上波放送の低迷、撤退を経てサッカーワールドカップに刺激され、国際大会に注力しはじめた。そもそも第一回WBCは今回と比べものにならないほど盛り上がってなく、イチロー選手の参加といくつかの奇跡が噛み合い優勝できたので事後的に注目されている。
スポーツの主役はプレイヤーだ。いくら形式だけ整えてもスター選手の参加が無ければ盛り上がる事はない。決勝戦のクライマックスが同じエンゼルスに所属するMVP獲得者のマイク・トラウト選手と同じくMVP獲得者の大谷翔平選手の対決だからこそ血潮がたぎる。東京オリンピックでも日本代表チームは優勝したが、アメリカ代表チームの投手は他国リーグで活躍している選手やマイナーリーグの選手たちだった。同じシチュエーションでも、東京オリンピック形式なら、横浜ベイスターズの山﨑康晃選手とオースティン選手になる。熱狂的な横浜ファン以外は前者の組み合わせの方が興奮するだろう。
あまりにも野球はMLBの力が強すぎる。この現実から始めるしかないと私は思う。だから、商業主義をどこまでも突き進んでWBCの存在をMLBが軽視できないような方向で発展するしかないと考える。
(主催が軽視するというのも意味不明な表現だが。)
具体的には中国や欧州での野球人気が加熱し、放映権ビジネスの発展などになるだろう。日本はここに協力するべきで、欧州や中国に日本選手を派遣したり、独立リーグに受け入れの間口を広げたりするべきだ。NPBはMLBと比べて経済的に弱い構造にある。だから、現状だと各球団からの経済的支援が必要だろう。今回、世界一となったのだから、その世界一に対するノブレス・オブリージュ的に世界の野球振興にもっと積極的になって欲しいと願う。
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めちゃくちゃ余談だが、「サムライJAPAN」という呼称はもともとは「WBC日本代表」という名前のグッズ等を作ることがMLBとの規定から出来なかったことが原因の「ハック」的なやり方である。
ただ結果的に呼称を継続することにより、盛り上がることが出来た。商業主義のたまものだが、うまく作用することもある。
さらに余談。WBCの東京ラウンドはめちゃくちゃ日本有利だったことに言及しているメディアが少ない!だいたい日本は全部19時開始の日程だ。これは当然、放送が理由。他国は19時から23時まで試合をしたあとに、翌日のお昼12時にまた試合とか苦労する日程だった。これは改善すべきところ。無邪気に日本を応援するのもいいが、あまりのアンフェアさに申し訳なさが勝った。
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★おまけ★
ゲンロンで野球イベントするなら?を勝手にブレストする。
①石戸諭さんによる「栗山英樹論」
シラスでやったけれど、ゲンロンカフェなら栗山さんを呼ぶこともワンチャンある!?
②スポーツとナショナリズム
拙文の「嫌韓」とか香山リカさんの「ぷちナショナリズム」的なトーク。国威発揚ウォッチの第一人者がスポーツに弱いので期待出来ないが、現在の日本でナショナリズムを発散できる機会って国際大会になると思うんですよね。
③スポーツとビジネス
東京オリンピックは汚職まみれ、2002年のサッカーワールドカップに作った札幌ドーム問題。公金を投入したからこそ禍根が残るもの、うまくいくもの。逆にMLBの商業イベントだからこそWBCがうまくいった部分、問題が残る部分。こういうものを比較してトークするのは面白いんじゃないだろうか。