国威発揚ウォッチ オフ会に行ってきたよ!

五反田キャップと辻田さんサイン入りドイツマスク

 

辻田真佐憲の国威発揚ウォッチオフ会に参加をし、とても楽しい時間を過せた。ぶっちゃけ、第一回オフ会くらいの時は「こういうノリは合わなそう」と忌避してましたが、1年も経たぬうちに、辻田さんの軽妙ながら真剣な語りにどんどん辻田chにのめり込んでしまい、ついに参加まで至った。

多くの方とお話しする機会を得て、自分自身の刺激にもなり参考にもなった。地方からの方、性別も年齢も幅広く普段なかなか踏み込めない内容の意見交換できる場は本当に素晴らしいと感じた。

シラスIDだけしかわからない方の実像を見ることもできたし、IDがわからない、あるいは聞きそびれた方もとりあえず同じ空間にいることでの信頼関係のもとに酔っ払いながらも真摯に会話を楽しめたと感じる。

会話のとっかかりに「IDなんですか?」と聞かれて、「僕はBarnetteです」と言うと、案外と皆さんご存知頂けたようで、東京ヤクルトスワローズの力は偉大である。さすがセリーグ連覇のチームだ。私のID2015年までヤクルトに在籍していたトニー=バーネット選手からの拝借である。

さまざまな方とお話し、二次会会場に移動する中、喫煙者同士で「どうやって東浩紀さんや辻田さんに興味を持ったのか?」と質問されて、そこで話したことが「面白いから、マイページにでも書いたら?」と言われたので、書いて綴ってみようと思う。正直、喫煙所って暖房もなくて寒いし、相手が吸い終わっても僕が饒舌に語るので、申し訳なかったと今は思う。ちなみにマイページ内のイチオシ番組欄に書こうと思ったら300文字以内の制限でブログに書いた。レビュー欄にこんな私的な文章投稿するのもおかしいので、こちらにします。

東浩紀さんやゲンロンに深く興味を持ったのはコロナ禍がきっかけである。巷間で語られる言説に違和感を持ち、左派が「ロックダウンも止むなし」という突き上げをしてきて、幻滅した。自由ってなんだ?人権ってなんだ?憲法ってなんだ?リベラルはそれを守るものではないのか。そう、今回のゲストの浜崎洋介さんの言う通り、「リベラル絶望組」が流れ着く先がここだった。

とはいえ、僕は別にリベラルな言説を好んで積極的に摂取してたわけではない。むしろネトウヨ崩れでもあり、「ホシュ絶望組」でもある。もともとは小林よしのりさんの熱心な読者だった人間だ。

81年生まれの僕はおぼっちゃまくん世代でもある。テレビアニメも見ていた。それがきっかけで小学校高学年から中学の初め頃に「ゴーマニズム宣言」に手を出す。この頃はオウムや薬害エイズを取り上げていて小林氏が右転回する前から読んでいて、彼の持ち味は今もそうだが、タブーに切り込む的な言説を漫画媒体で展開することに惹かれた。

福島のど田舎で育ったのになんで社会問題をテーマとした漫画に惹かれたかはもう一つ理由があり、それは父の存在なんだろうと思う。

私の祖父は辻田chでは目の敵である共産党員であった。祖父は僕が生まれる前に他界しているので面識はない。だが、おそらく父はその影響を受けていて、労働組合活動の役員などやっていたし、家族でニュースを見ていると反権力、反自民の立場で意見をよく言っていた。「付き合いだから」という理由で赤旗日曜版が家にあった。そして朝日新聞とスポーツ報知が家にある家庭に育った。共産、リベラル、読売巨人とよくわからない多様性があったが、反権力志向するなら巨人なんて応援するなよ、とも思っていた。父が巨人ファンなのは中畑清と同郷で中畑氏の兄弟と同級生っていうのも関係しているそうだが。なお、今は渡邉恒雄が嫌になり、楽天を応援しているらしい。

父は学はないが、社会には関心があった。それは祖父の影響だろう。だから僕も大人とは社会に関心を持つことだと思い、ゴー宣をその入り口にしたのだろう。そして、ゴー宣が右傾化すると、当然に僕も右傾化する。特に高校1年に出た戦争論には衝撃を受けた。これは面白い!素晴らしい本だ!と当時は本当に思っていたし、友達に貸したり布教したりした。

仲が良く、社会問題に関心がありそうな先輩にも勧めて貸してみたら、「なんだ!この右翼本は!!!」と激怒された。なんと、彼の家は共産党系であって、僕の自宅に赤旗日曜版を届けていたのは先輩の母親だったのである!偶然って怖いですね!!

父も息子が右翼になったと心配していた。思春期の息子がポルノが見つかり、父から怒られるというのはあると思うが、右派本が見つかり怒られるケースはあまりないだろう。小林氏と著作権裁判で揉めた上杉聰氏の講演を聞きに行って、小林よしのりがやばいことを知ったらしい。

ゴー宣の影響で辻田chでお馴染みの黄文雄なんかも読んでいたし、SAPIOと正論も買っていたし、辻田さんが中学時代に読んでいたという西部邁氏らとの座談本「国家と戦争―徹底討議」も「反米という作法」もバリバリ当時読んでいた。流石に嫌韓流は読んでない。嫌韓思想に染まりそうなこともあったが、ギリギリ踏みとどまったと思ってる。たぶん、共産党の血が役に立ったんだろう。やはり、血はアカい。

このような右派少年の遍歴があるので、辻田さんの言説はとても腹落ちする。当時は当時で戦争に対するコードが厳しくて、それに反発したい気持ちをつくる会系が吸い上げていた。当然ながら辻田さん程の読書量や深度ではないが、右派絶望組からリベラル絶望組の道程には親近感を覚えている。そして浜崎さんはその自分の中のリベラル言説を徹底的に見直して、今の言説を作り上げた事も敬服する。配信された番組内での一つの山場に「男女問題の議論」があった。

浜崎さんの言葉に納得しつつも「とはいえ」と言いたくなるのは、リベラル的社会規範が内面化してしまっているのもあるだろう。浜崎さんはおそらくはそういう内面を全て徹底的に疑い作り直し、新たな思考を作り直した方なんだろうと思う。

だいぶ道筋が逸れたが、今度は社会人になると社会問題から関心を失う。仕事が忙しく、読む本もビジネス書などになっていく、たまにゴー宣関係や気になった新書を読む程度でいた。そのうちに小林氏の言説にも完全にのめり込むこともできなくなり、社会は右傾化、嫌韓嫌中、ネトウヨの時代になった。その言説は下品で嫌だった。どんどん社会に関心を失っていった。ただ、ネットで見られる右派言説には距離を持ちたかったので、左派の意見も参考にせねばという意識もなんとなくあった。そして、安倍政権の後半と菅政権あたりには、自民政治にも嫌気がさし、リベラル的言説を好むことになった。

しかし、安倍晋三は自由を奪う!憲法軽視!と主張していた人たちが、今こそロックダウンを!と宣うさまには酷く辟易した。お前らのポリシーはなんなんだよ!!

そんなこんなで、2021年にコロナが流行り、勤務先でクラスターが発生した。そのおかげで10日くらい休みができた。コロナで高まった社会への違和感を解消しようとコロナ関連本を読んだり、動画を見たりしていた。

その中で小林よしのりが反コロナをやってるのは知っていたが、「今さら小林氏の言説に乗るのは大丈夫だろうか。しかし、今のコロナに対する一般の言論はおかしい。参考程度にならば」と思い小林氏と東浩紀さん、三浦瑠麗さんの鼎談番組を見た。そこで東さんの言説が素晴らしく感銘を受けた。人間社会の維持、社会が壊れることに警鐘を鳴らし、過激ではなく理知的に話す言葉にどんどん吸い込まれた。コロナそのものがインフルエンザと比べてどのくらい危険だとか危険じゃないとか、それは科学者の議論であり、僕が必要なのはそういう話ではなかった。東さんの言葉が必要だったと分かった。

そこから、シラス番組やVimeoアーカイブを見たり、東さんの本を読んで今に至る。学も無く、体系的に何か学習したこともなく、別に社会的になんら特別な貢献はしてないけれど、東さんや辻田さんの言説に救われている。だから、その応援をしたいと思い、今回オフ会に参加し、ゲンロン総会にも行く。

エヴァンゲリオンすら、まともに見てない、0年代サブカルを全く知らずにいたので東さんやゲンロン、ひいては辻田さんをを知ったのが遅れたが、それはそれで良い。

東京で働いていた頃、主に歓楽街目的で五反田駅に降りるとゲンロンの広告があった。その時に「右派言説ばっかり見てても仕方ないから、たぶんリベラルな人である東浩紀も関心持った方がいいかな」なんて思っていた。そんなこと思いながら、刹那の快楽に身を投じていた人間が、歳を重ね地元の福島にに帰省して五反田と物理的な距離が遠くなってから、五反田に関心を持つとは人生って不思議なものだ。

この場を借りて、単なる自分語りをしてしまったが、辻田オフ会で普段ID越しに見てる人の顔を見て話せたことは幸せなことでした。

僕のどうでもいい話に付き合ってくれたオフ会参加者の皆さまに感謝します。特に寒い中ダラダラと話に付き合ってくれ、この文章を書くきっかけになった@namayouさん、どうもありがとうございました。